東アジア共同体研究所

ネット・フェイク病の蔓延と民主主義の危機~民主主義考2020s①

Alternative Viewpoint 第15号

はじめに

 米民主党のジョー・バイデン前副大統領が大統領選に勝利し、第46代米国大統領となることが決まった。12月14日に行われた選挙人投票で306人を獲得し、改めて勝利宣言したバイデンは「アメリカの魂をかけた戦いで民主主義が勝利した」「我々の民主主義は圧迫され、試され、脅かされた。しかし、復元力があり、真正かつ強力であることを証明した」と高らかに謳った。[i] 同時に、バイデンは「選挙の結果が受け入れがたいものであっても、人々の意思を尊重することが民主主義の中核である」と述べ、トランプへ投票した人たちに団結を呼びかけた。

バイデンの得票数は8千万票を超え、史上最多だった。その一方で、トランプも7千4百万票以上を獲得し、2008年のオバマ前大統領を上回った。コロナ禍によって米経済が急落していなければ、おそらくバイデンは完敗し、トランプが続投を決めていたであろう。コロナ禍なかりせば、上記の言葉を投げかけられたのはバイデンの方だったはず。それを思えば、〈民主主義の勝利〉と言うバイデンの言葉は虚ろにしか響かない。民主主義は2020年大統領選挙という一つの戦局を(偶然に助けられて)切り抜けたに過ぎない。

21世紀になり、欧州で右翼ポピュリスト政党が政権を獲得するようになった頃から、私は民主主義に対して〈モヤモヤした思い〉を抱くようになった。2016年に行われた英国のBrexit国民投票や米大統領選もモヤモヤ感を一層募らせた。そして今回の米大統領選を経て、このモヤモヤ感に正面から向き合うべきだと思うに至った。

AVPでは『民主主義考2020s』と名付けたシリーズを組み、今日の民主主義について海外で行われている議論等を紹介していきたいと思う。その第1回となる本稿では、今日の米国における民主主義の現状を概観する。

 

情報テクノロジーの進展と民主主義

そもそも、民主主義とは何なのか? 今日の民主主義はかつての民主主義と本質的に変わっていないのか? 我々は何を心配しているのか? 

チャーチルの民主主義評

 かつてウィンストン・チャーチルは「これまで試されたすべての形態を除けば、民主主義は政府の形態として最悪なものである」という言葉を引用し、逆説的な表現ながら民主主義を強く支持した。そのチャーチルは民主主義について次のように述べている。当時の社会的価値観を反映した言いぶりもあるが、そのまま引用しよう。

「民主主義」という言葉はいかに解釈されるべきか? 私の考えでは、質素で謙虚な普通の人、すなわち妻と家族を持ち、祖国が困難に直面したときには戦いに馳せ参じ、しかるべき時期には投票に行き、議会の代表として選ばれてほしいと自分が願う候補者の欄に印をつけるような、当たり前の人が民主主義の基礎をなしている。この人たちが恐怖を感じることなく、いかなる脅迫や迫害をも受けることなく、投票できることも民主主義の基礎にとって欠くことができない。人々に厳格な秘密投票を保証され、(彼らによって)選ばれた代議員が自分たちの望む政府や自国政府の形態を決める――。それが民主主義であるならば、私はそれに敬意を表し、支持するだろう。

 民主主義と選挙は表裏一体だ。ただし、単に選挙が行われればよい、と言うわけではない。ソ連崩壊後のロシアでも大統領は選挙で選ばれているが、選挙を含めた政治活動一般に脅迫と不正が横行している。そのため、ロシアは民主主義国家と呼ばれず、代わりに権威主義のレッテルを貼られる。

チャーチルは、自由で公正な選挙が保障されることを前提にして、自らを統治する政府を自らの意志で選ぶところに民主主義の価値がある、と考えた。だからこそ、民主主義に欠点が少なからずあることを認めつつ、王制や専制、そして権威主義体制よりはマシなのである。民主主義国に生きる多くの人々もチャーチルのこの意見に同意してきたと思う。

翻って今回の米大統領選挙。〈選挙人を通じた大統領選び〉という独自の方法をとるが、米国大統領は有権者が普通選挙で選ぶ。今回、トランプたちは郵便投票等で大規模な不正があったと主張しているが、トランプの腹心と言われたバー司法長官(=12月14日に辞任)でさえ「結果に影響を与える不正はなかった」と述べた。大統領選は(曲がりなりにも)自由かつ公明正大に行われた、と言ってよい。

では、チャーチルがもしも今の世に生きていて、今回の米大統領選挙を見たとしたら、米国の民主主義を礼賛しただろうか? 大いに疑問だ。

情報社会に「普通の人」はいるのか?

チャーチルは「平均的な有権者と5分話せば、民主主義に対する最高の反駁となる」と述べていた、という説が一部で流布している。皮肉屋のチャーチルなら〈さもありなん〉と思いがち。しかし、彼がそのような発言を行った事実は確認されていない。一種のフェイク・ニュースである。

人間観察の達人だったチャーチルが「投票先を決める際に有権者は完全に合理的な判断を行う」という幻想を抱いていたとは考えられない。しかし、投票に行く「普通の人」は最低限の良識を備えており、ある程度は多様な意見に触れながら――保守党、労働党、自由党の支持者たちがパブで政治談議に花を咲かせるイメージを持てばよい――誰に投票するかを決める、と考えていたに違いない。そうでなければ、彼が民主主義を支持する理由はなくなる。

今回の米大統領選の様子を改めて思い起こしてみよう。大まかに言えば、トランプ支持者は何があってもトランプを支持し、バイデンの支持者(あるいはアンチ・トランプ主義者)は何があってもトランプを批判した。ネットの書き込みや街頭デモで相手を罵倒することこそあれ、双方が相手の主張に耳を傾けて理性的に議論することなどまずなかった。普通の人」がある程度正確な情報に触れ、他者との対話を通じて投票先を決める、というチャーチルが想定したはずの状況をそこに見出すことはできない

米ソ冷戦の終結後、軍事技術の一種として始まったインターネットは民生技術として急速に拡大し、今日のソーシャル・メディアの隆盛を生んだ。我々の生活は膨大な情報に取り囲まれ、今やそれなしには成り立たないと言っても過言ではない。

大量の情報を早く手軽に入手できるようになれば、取捨選択の手間は増えても判断材料が増える。情報化の進展は民主主義にとっても歓迎すべきことだ――。誰もがそう思ってきた。だが現実には、内外の勢力がネットを利用して偽情報を拡散し、政治的混乱を生み出す事態が増え、それが投票の結果を左右することも決して珍しくなくなった2016年の米大統領選やBrexit国民投票においては、有権者が偽情報を真実だと信じ込んで投票を行い、結果が(おそらく)変わった。立候補や投票の自由が保障され、公明正大に選挙が行われたとしても、これでは「操られた」民主主義でしかない。ロシアを民主主義と呼ばないのであれば、こちらを堂々と民主主義と呼ぶのにも抵抗がある。

 

スティーブ・バノンの偽情報「氾濫」作戦

今日、情報テクノロジーが民主主義を蝕んでいることは厳然たる事実だ。本節では、スティーブ・バノンという稀代のデマゴーグにスポットを当てながら、人間の悪意が情報テクノロジーを駆使して民主主義をいかに麻痺させうるのか、そのメカニズムを紹介する。

バノンは1953年生まれ。海軍将校、投資銀行勤務、映画製作などを経て極右のニュース・サイトを設立した後、2016年大統領選ではトランプ陣営の責任者となった。トランプ政権発足後は大統領上級顧問と大統領主席戦略官を務め、2017年8月に辞任。その後は米国の内外で右派ポピュリズムを拡大するため、精力的に活動している。2020年8月にはメキシコ国境への壁建設費用として集めた資金を搾取したとして逮捕・起訴されたり、11月にはFBIのレイ長官や米国立アレルギー感染症研究所のファウチ所長を斬首すべきだと主張してツイッターのアカウントを永久凍結されたりした。とんでもない人物だが、「民主主義の壊し屋」としては天才と言わざるを得ない。

 バノンのネット戦略を象徴的に言い表しているのが Flood the zone with shit という彼の言葉だ。「相手の情報空間をクズ情報で埋め尽くせ」とでも訳せるが、本稿では暫定的に偽情報「氾濫」作戦と呼び、話を進める。

嘘の大量拡散~ピザゲート

 自分にとって有利な情報を大量に配布したいという野望を持つ者がいたとしよう。ネット以前の時代なら、彼(彼女)は新聞社やテレビ局を所有する必要があった。もちろん、大量の資金と手腕が必要となる。FOXテレビやウォール・ストリート・ジャーナルを保有するルパート・マードックは例外中の例外だ。そのマードックでさえ、自分の関係するメディアの購読者・視聴者にしか情報を届けることはできない。

だが今は、スマホやPCさえあれば、誰もがSNS等を通じて大量の情報を「安価、手軽、瞬時」に不特定多数の受け手に届けられる。しかも、ネットの世界では送り手が自らの正体を隠すことも可能。こうした状況下では、間違った情報や意図的な嘘を大量に発信し、選挙の動向に影響を与えることも比較的容易となった。

米大統領選の真っ只中にあった2016年の秋、ヒラリー・クリントン候補や陣営責任者(ジョン・ポデスタ)がワシントンDCにあるピザ屋の地下室で性的児童売買の組織を経営しているという与太話がネット上で拡散した。今では、児童売買云々は完全に虚偽であったことがニューヨーク・タイムズやBBCを含むメディアによって検証されている。店主が民主党の有力な支持者だったことは事実だが、そもそもピザ屋に地下室はなかった。しかし、当時このフェイク・ニュースはネット空間に拡散、大勢の人がそれを信じた。ピザ屋は脅迫され、同年12月にはニュースを信じた男がピザ屋に押し込み、発砲するに至った。これがピザゲートと呼ばれる事件だ。

しかも、この話はヒラリーと結びつけられ、下記のようなポストが氾濫した。[ii]

大統領選の最中にこんな情報が出まわったのだ。直後に行われた本選でヒラリー票が減ったであろうことは確実である。このフェイク・ニュースの拡散に中心的な役割を果たしたのはトランプ支持のオルタナ右翼であった。

ピザゲートは今も続いている。2020年5月、ポップスターのジャスティン・ビーバーがピザゲートで行われた性的児童虐待の被害者であることを肯定したように見える動画――ビーバーの動画配信中に匿名の誰かがコメント欄に「あなたがピザゲートの犠牲者なら帽子に触ってください」と書き込み、ビーバーが帽子に手を触れた――がQアノンたちによって拡散された。大統領選挙の年にピザゲートが蒸し返されたのは偶然ではあるまい。今やフェイク・ニュースの氾濫は米国政治の日常風景になった。

〈枠組み固定化〉と〈錯覚による真実化〉

バノンたちオルタナ右翼が展開する偽情報「氾濫」作戦には、情報テクノロジーを利用して人間心理の弱点を巧妙に突く手法がいくつも組み合わされている。米メディアVOXのショーン・イリングが行った分析を参考にしながら、具体的に説明しよう。[iii]

 人が騙されるのは、その偽情報が巧妙にできているからとは限らない。カリフォルニア大学バークレー校の言語学者であるジョージ・レイコフは「あなたが『象のことを考えるな』と口に出せば、あなたは(考えまいと思っても)象のことを考えざるをえない。つまり、あなたがある議論を否定したとしても、その議論を思い浮かべるだけであなたの心の中では特定の(認識の)枠組みが固定化される」と述べている。つまり、嘘を届けるだけでも意味がある、ということだ。

錯覚による真実化〉という効果も働く。心理学では「人間の脳は(ある主張が)繰り返されればそれを真実と受け止める傾向がある」という研究結果が出ているそうだ。しかも、「情報に触れる回数が多いほど、人々はそれが事実であろうがなかろうがその情報を拡散してもよいと感じるようになる」こともわかってきた。「嘘も100回言えば真実となる」という言葉には科学的根拠があったのである。

トランプ政権で大統領顧問を務めたケリーアン・コンウェイ。彼女は報道番組に出演しては何度も何度も嘘や暴言を吐いた。コンウェイの言葉は瞬く間にソーシャル・メディアで拡散した。リベラル系のマスメディアでさえ、大統領顧問という彼女の職位ゆえにコンウェイの言葉を報道した。それはすぐに嘘だとバレた。しかし、〈枠組み固定化〉と〈錯覚による真実化〉を機能させるには十分だった。

精巧な嘘を作るのはそれなりに大変だが、どうでもいい嘘なら簡単に作れる。それを大量かつ繰り返して流すこともネット社会では容易い。その結果、偽情報を真実と受け止める人が増え、その人たちが偽情報をさらに拡散する。嘘はネズミ算式に広まっていくのだ。

〈審判〉を無力化する

新聞やテレビなどの大規模メディアは、どの情報を世の中に流すかを決める〈ゲートキーパー〉の役割と、ニュースの真偽をチェックする〈審判〉の役割を果たすものと考えられてきた。日本では今もまだ、新聞・テレビが報道すればそれを事実とみなす人が大多数である。

世の中がネット社会化するにつれ、新聞やテレビを見ない人が増えた。逆にツィッターやフェイスブックなど各種ソーシャル・メディアによる情報のやり取りは右肩上がりだ。そこでは投稿すれば(真偽に関わらず)相手に伝わるのが基本。ゲートキーパーや審判はいないに等しい。加えて米国では、右系メディアを中心に伝統的メディアが〈審判〉の役割を放棄する動きが目立つ。ケーブルテレビの発達した米国では、比較的少数の偏った視聴者を狙うメディアも林立気味。これらの多くもファクト・チェックに興味はない。

バノンは「本当の敵は(民主党ではなく)メディアだ」と述べ、リベラル系の伝統的メディアに照準を合わせた。その〈審判〉機能を麻痺させることができれば、オルタナ右翼にとっては「やりたい放題」となる。

実際、バノンはネット空間にクズのような情報を大量にバラマき、伝統的メディアを無力化した。嘘を暴くことは嘘を作ることよりも遥かに膨大な労力を要する。それに加え、ネット空間に偽情報が溢れて出て来るため、伝統的メディアがファクト・チェックしようと思ってもとても追いつかない。リベラル系のネット・メディアやボランタリーな組織によるファクト・チェック機関も立ち上がっているが、焼け石に水である。

偽情報「氾濫」作戦は、敵対する政治勢力への攻撃のみならず、自分が支持する政治勢力を防衛するためにも活用できる。

トランプ大統領は2019年に権力濫用と議会妨害の罪で弾劾訴追された。常識的に考えれば、トランプの支持率は急落して当然だった。この時、トランプやオルタナ右翼たちはトランプ自身の釈明(=無実であるという主張)を毎日ソーシャル・メディアに書き込んだ。同時にハンター・バイデン(ジョー・バイデンの子息)によるウクライナ疑惑を膨らませ、ネット空間に拡散した。
 リベラル系を含めた主要メディアは弾劾裁判について連日報じたが、その際にトランプによる無実の訴えやハンター・バイデンの疑惑も併せて伝えた。ジャーナリズムのあり方としては、「その時点で明らかに間違いだとわからない以上、大統領という公職にある者の発言を国民に伝え、その対立候補に関係する情報も公平に伝えるべきである」と考えられたからだ。
 かくしてマスメディアでもネット空間でも、様々に相対立する見方が溢れて〈ごった煮〉のような状態となった。視聴者や読者は何が真実なのか判然としないまま、混乱した状態に置かれた。その結果、民主党員はトランプの罷免を強く求め続けた一方で、共和党員のトランプ支持が大きく損なわれることもなかった。バノンたちの偽情報「氾濫」作戦はまんまとトランプを守ったのである。

真実の探求を諦めさせる

偽情報「氾濫」作戦は主要メディアの審判機能を麻痺させて終わりではない。イリングによれば、「対立するストーリーがぶつかって雪崩のような状態を作り出し、それによって情報の受け手を自己喪失させる」ことこそがバノンの真の狙いである。

ネット社会となった今日、人々が自分の関心事について調べようと思えば、最初にやることはネットの検索エンジンにキーワードを入れることだろう。そこで決まりきった解説が出てくれば、あっという間に真実にたどり着ける。図書館に行く必要もなく、至極便利だ。しかし、相矛盾する解説記事が洪水のように出てきたらどうか? 二つ、三つなら読み比べてみようという気になるかもしれない。だが、あまりに多ければそんな気力さえ失せる。

嘘はもちろんのこと、様々な情報が氾濫していると、人々は果たして真実を探し当てることができるのかを疑うようになり、最後は真実の探求を諦めてしまう。米国民の60%は「同一の出来事について相対立する説明に出くわす」と述べ、「報道で読んだ内容を信じる」と答える者は米国民の半分にも満たない。バノンの思惑通り、既に米国民の多くは真実を突き止めようという気力を失い、主要メディアの報道すら信じなくなっている。イリングが「作為によるニヒリズム」と呼ぶ状況が既に生まれている。

もう一度トランプの弾劾訴追に話を戻そう。バノンたちはトランプが無実だという情報やハンター・バイデンが不正を働いたという情報を氾濫させ、伝統的メディアを目詰まりさせたのみならず、情報面で米国民を自己喪失させた。多くの米国民は何が真実かの探求を諦め、既存の政治的選好にしがみついたのだ。

政治的な「部族」への招待

エール大学のエイミー・チュア教授は、「イデオロギーやナショナリズムではなく、人種、地域、宗教などにもとづくグループ・アイデンティティー」に基づいて「自分が100%正しいと思いこみ、相手を完全に否定する政治」を「(政治的な)部族主義」と名付けた。[iv]  

政治的な「部族」は何もトランプ支持者など右側の人々のみに当てはまる現象ではない。リベラルの人たちにも自らの部族に閉じこもる傾向が見られる。リベラル部族の多くは、新聞系ならニューヨーク・タイムズやワシントン・ポスト、ケーブルテレビ系ならMSNBCやCNNなどから情報を受け取る割合が高い。なお、同じリベラル部族の系統であっても、グループ・アイデンティティー等によって枝分かれしている。サンダースを支持する部族もあれば、バイデンを支持する部族もあり、仲が良いとは限らない。

米国で政治的部族主義が急速に進んだ背景には、白人人口の相対的減少や経済的格差の拡大など、多様な原因が指摘されている。偽情報「氾濫」作戦も政治的部族化を促進すると考えてよかろう。イリングは次のように指摘する。

(真実の探求を諦めて)今何が起きているのかについて人々の間で混乱が広まる結果、人々は自分の政治的部族に与することに心地よさを感じるようになる。すべての情報が入手可能な状態にあって、相対立するストーリーの間で取捨選択を行って真実を探し出すことがむずかしければ、行き着くところは文化戦争の政治(culture war politics)以外にない。(こちらの価値観を信じる)我々と(向こうの価値観を信じる)彼らがいて、お互いに説得される可能性などまったくない、という状況である。

政治的部族化が進めば進むほど、国家は分断される。異なる「部族」間で意思疎通することもないため、チャーチルが民主主義の大前提として想定した「普通の人」は減少する

 

プラットフォーマーの罪

前節までは、インターネットと偽情報を駆使しながら人々の政治的嗜好に影響を与えようとする人に焦点を当てながら、民主主義の現状を点検した。本節では視点を少し変え、ネットで情報サービスを提供するプラットフォーマー(Google、Facebook、Twitterなど)に注目してみる。プラットフォーマー側が意図しているかどうかはともかく、彼らがネット・ユーザーの認識空間を歪め、政治勢力による悪意あるネット利用に道を開いていることは否定できない事実である。

フィルター・バブル

スマホで何かの商品を検索したら、それ以降ネットを開くたびにその商品に関連した広告が出てくる。好きな野球チームの記事を閲覧したらブラウザーの上の方にそのチームのニュースが出てくるようになった。ある政治家の記事をクリックして読んだところ、その政治家のニュースがやたらに目に付くようになって辟易した…。こうした経験をほとんどすべての読者が持っているはずだ。

プラットフォーマーは検索履歴などユーザーの過去のネット利用情報にアクセスできる。それを基に独自のアルゴリズムとAIを駆使してユーザーの関心事項や思考傾向をフィルタリングし、一人一人に最適化されたコンテンツを提供するということが普通に行われている。ユーザーの利便性を高めるためと言えば聞こえはよいが、要すれば商業主義を突き詰めた結果である。これが政治分野に適用されると、民主主義の健全性は大きく損なわれかねない。

2011年、ネット活動家のイーライ・パリサーは「フィルター・バブル」という概念を提唱した。プラットフォーマーのアルゴリズムによって情報がフィルタリングされ、ネット空間が極端にパーソナライズされる結果、「自分では世界の代表的な見方を入手していると思っていても実際にはそうではなく、しかもそのことに自分では気づかない」状況が生まれる、という警告だ。パリサーはそれを各人が〈フィルターの泡〉に包まれているとみなした。[v] 

フィルター・バブルに包まれたネット・ユーザーは、自分が同意したくない内容の記事を目にすることはなくなる。自らの考えを再確認する記事のみを読むようになり、バイアス(偏見)の虜となっていく。政治部族化がフィルター・バブルによって助長されることは言うまでもない。

トランプ支持者――潜在的支持者を含む――のパソコンやスマホでは、トランプのツィートやトランプを美化する記事、民主党をボロクソに中傷する記事があふれる一方で、トランプ批判やバイデン賞賛の情報が目に触れることはほとんどない。トランプ有利・バイデン不利のフェイク・ニュースもそのまま伝わってきて真実とみなされる。その結果、トランプが何をやらかしてもトランプ支持は強化され、弱まることはまずない。バイデン支持者に対しても、程度の差こそあれ、似たようなことが起きている。パリサーが「自分と同じような人々のポストだけを見ていれば、自分の考えとはまったく違う誰かが大統領選に勝ったのを知って驚くことになる」と警告するのも頷けよう。[vi]

プラットフォームはあまりに巨大となり、経済のみならず政治に対しても大きな影響力を事実上持つに至った。フランシス・フクヤマはプラットフォーマーが「特定の意見を増幅するかまたは葬り去り、それによって民主主義における政治討議に妨害的な影響を与える」ことを憂い、最悪の場合には「プラットフォームがあまりに強力な力を持つことによって故意または無意識に選挙を左右する」ことを危惧している。[vii]

マイクロターゲティングの進化(暴走)

米国の政治業界が〈マイクロターゲティング〉の手法を大々的に導入したのは2004年の大統領選からだと言われている。当時のマイクロターゲティングは、「公開されている国勢調査の結果や有権者の登録情報、販売されているクレジットカードの購買履歴などを基に有権者一人ひとりの趣味・嗜好を分析して、それぞれに適した訪問や電話、メール、手紙といった訴求方法で、最適の政策を訴える」ものであった。[viii] その後、情報テクノロジーが劇的に発達すると、選挙や政治活動一般でネット空間を最大限に活用しようと考える者たちは、プラットフォーマーの持つ膨大なユーザーデータやフィルタリングのためのアルゴリズムに目をつけ、想像以上の成果をあげるようになる。

2017年秋、歴史学者のニーアル・ファーガソンは『Foreign Affairs』で次のように述べた。[ix] 

 2016年の英国と2016年の米国におけるポピュリストの政治的勝利を最も手助けした――意図したものではないとは言え――会社はFacebookであった。Facebookがユーザーに関して持つデータの宝物庫がなければ、比較的予算の少なかったBrexit推進派やトランプ陣営が成功できなかったことは間違いない。同社は知らず知らずのうちに、フェイク・ニュースの拡散に核心的な役割を果たした

  今や、ネット閲覧履歴や書き込み、購買記録、位置情報などネット・ユーザーの政治的な不満、興味を持つ政策の方向性、支持する(忌み嫌う)政党や政治家などを割り出すことはそれほどむずかしいことではない。政治情報戦略の仕掛け人は、ユーザーのカテゴリー毎に最も訴求力の高いストーリーをカスタマイズし、ピンポイントで情報を届けることができるようになった。例えばトランプを勝たせたい連中は、白人労働者、宗教保守層、アンチ・エスタブリッシュメント、キューバ系ヒスパニック等々に対してネットで情報を送り届ける。それぞれのグループ毎に最適化された情報によってトランプを褒め称え、バイデンを貶めるのである。

初期のマイクロターゲティングと比べ、今日の過激なマイクロターゲティングは、より多数の有権者に網をかけ、より精緻に有権者を分析し、より大量の情報を有権者に届けているフェイク・ニュースを信じ込みやすいユーザーを選んで拡散すれば、フェイク・ニュースを信じさせ、広めさせることも容易い

バノンたち右系の仕掛け人たちの〈強み〉は、フェイク・ニュースや倫理的に許されないような誹謗中傷を届けることに対して、何の抵抗感も持たないことである。一方、民主党系には〈理性〉と〈事実〉を重視する傾向が残っている。感服すべきことではあるが、理性は情緒に負け、事実は嘘に圧倒されることも往々にして起こる。今回の大統領選で民主党は白人男性の支持をかなり回復した。だがそれも、コロナ禍による失業率の上昇がなければ、どうなっていたかわからない。

対策と限界

GAFAに代表される巨大プラットフォーマーの弊害を目の当たりにして、「自由の国」米国でも対策の必要性を訴える声が出てきた。例えば、フランシス・フクヤマたちは、政府による規制(例えば、フェイク・ニュースの流布を犯罪化する等)競争の促進(例えば、既存プラットフォーマーの分割等)ユーザーがデータのフィルタリングを選べるミドルウェアの導入など、5つの解決策に触れている。[x] ただし、政治家サイド(特に共和党系)も巨大プラットフォーマーを活用した選挙戦術にどっぷり浸かっているため、米国で実効性のある規制が可能かはまったく見通せない。

実際にある動きとしては、今年10月に米司法省が検索やデジタル広告についてGoogleを提訴し、今月9日には米連邦取引委員会(FTC)がFacebookを独禁法違反で提訴、インスタグラムやワッツアップの売却を求めた。欧州ではEUが最近、GAFAなどのプラットフォーマーに違法コンテンツの迅速な削除を義務付け、違反すれば年間売上高に対して最大6%の罰金を科す法案を発表している。

風当たりの強さを感じたプラットフォーマーの側も、事実関係の疑わしい投稿に警告表示を行ったり、虚偽の投稿を削除したりするなど、自主規制を徐々に強めてきた。しかし、ネット業界では本来的に政府の規制を嫌う発想が強いことに加え、規制の導入によるコスト増もあり、プラットフォーマーの対応は基本的に及び腰だ。

一方で、フェイスブックやツィッターなど既存の大手プラットフォーマーが警告表示をしたり、投稿の拡散を制限し始めたりしたのを見て、自由放任を旨とする新興プラットフォーマーが生まれ、急成長している。2018年に立ち上げられたパーラー(Parler)は、アルゴリズムを使用したお薦めコンテンツの表示を行わず、ユーザー情報の収集も極力行わない。最大の売りは、検閲がないこと。スパムや暴力の脅し、違法行為の排除等を除いては、フェイク・ニュースだろうがヘイトスピーチだろうが、投稿・閲覧は基本的に自由だ。[xi] 多くのトランプ支持者やQアノンなど保守派が集い始めており、トランプ大統領の長女イヴァンカもアカウントを開設した。

 

おわりに~操られる民主主義

2020年11月に行われたインタビューでバラク・オバマ前大統領は、ソーシャル・メディア等によってフェイク・ニュースが流され、道徳と正義が失われることを「米国の民主主義に対する最大の脅威」と呼んだ。彼は「ドナルド・トランプはそれによってつくられたのであり、彼がそれをつくったのではない。彼はそれを促進したかもしれないが、それはトランプの前から存在したし、トランプの後も生き残る」と喝破した。[xii] そこに、今回の大統領選挙でバイデンが勝ったことによって民主主義の危機が去ったという楽観は露ほどもない。私はオバマのファンではないが、彼のこの見通しには100%同意する。

本稿で見たとおり、民主主義のメッカと目されている米国は今日、民主主義の危機の最前線に立たされている。米国社会では、チャーチルが民主主義の大前提として思い描いた〈普通の人〉は消え果てしまったのではないか。それは言い過ぎであるとしても、情報テクノロジーを悪用して〈普通の人〉を操る企てが相当程度成功し、〈普通の人〉とみなせる人が大幅に減ったことは否定できない。これが裏側から見た米国の民主主義の実態だ。

2020年は人類が新型コロナウイルス感染症というパンデミックに襲われた年となった。深刻な病にかかっているという点では、現在の民主主義も同様である。コロナウイルスが国境を越えて広がるように、インターネットを介した民主主義の病は世界中に伝播している。一方で、コロナ感染症と違って有効な治療法やワクチンが見つかる目途はまったく立っていない。

来年も引き続き、このテーマをフォローしていくつもりである。


[i] https://www.rev.com/blog/transcripts/joe-biden-speech-after-electoral-college-vote-transcript-december-14

[ii] How The Bizarre Conspiracy Theory Behind “Pizzagate” Was Spread (buzzfeed.com)

[iii] The impeachment trial didn’t change any minds. Here’s why. – Vox

[iv] 民主主義を襲った『部族主義』という病:朝日新聞GLOBE+ (asahi.com)

[v] Eli Pariser

[vi] https://www.theguardian.com/media/2017/jan/08/eli-pariser-activist-whose-filter-bubble-warnings-presaged-trump-and-brexit

[vii] https://www.foreignaffairs.com/articles/united-states/2020-11-24/fukuyama-how-save-democracy-technology?utm_medium=newsletters&utm_source=twofa&utm_campaign=Defense%20In%20Depth&utm_content=20201127&utm_term=FA%20This%20Week%20-%20112017

[viii] https://xtech.nikkei.com/it/article/Keyword/20091005/338323/

[ix] https://www.foreignaffairs.com/articles/2017-08-15/false-prophecy-hyperconnection

[x] https://www.foreignaffairs.com/articles/united-states/2020-11-24/fukuyama-how-save-democracy-technology?utm_medium=newsletters&utm_source=twofa&utm_campaign=Defense%20In%20Depth&utm_content=20201127&utm_term=FA%20This%20Week%20-%20112017

[xi] 新興SNS「パーラー」、保守派の反撃で急成長 – WSJ

[xii] Why Obama Fears for Our Democracy – The Atlantic

 

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