東アジア共同体研究所

岸田総理のTIME騒動と日本の民主主義 「Alternative Viewpoint」第51号

2023年5月20日

 

TIME誌に載った岸田総理の特集記事

岸田文雄総理は5月15日に発売された米ニュース雑誌『TIME』5月22日/29日号の表紙を飾った。[1] 正確に言うと同誌アジア版の表紙であり、米国で売られるTIMEの表紙が岸田になったわけではない。(ちなみに、米国版TIMEの表紙を日本人が飾った最新の事例は2022年4月25日/5月2日号の大谷翔平氏である。)ところが、5月9日にそのウェブ版が公開され、表紙のキャプションと特集記事のタイトルに「岸田文雄総理は、平和主義だった日本を軍事大国に変える」とあったものだから大騒ぎ。官邸の抗議――官邸側は「指摘」しただけだと言っている――を受け、TIME側は特集記事のタイトルを「岸田文雄総理は、平和主義だった日本に国際舞台でより積極的な役割を持たせようとしている」に変えた。ただし、表紙のキャプションは元のままだ。[2] 岸田にしてみれば、広島サミット前に提灯記事を書かせてリーダーのイメージを醸し出し、政権浮揚につなげようと算盤をはじいていたに違いない。しかし、くだらない修正騒動のおかげで日本の民主主義の底の浅さを却って世界にさらすことになった。

 

伏線~官邸と自民党による報道介入が当たり前の日本

大前提としてはっきりさせておかねばならないことがある。それは、民主主義体制をとる国であれば、メディアの世界ではタイトルを決めるのは編集側だということ。政治分野も例外ではない。日本の政党で24年間勤務した私の経験談を打ち明けると、政治家が取材を受けた記事のゲラを見せてもらい、加筆修正することは普通に行われていた。しかし、タイトルはメディアが決め、一度決まったタイトルを変えさせることは、事実関係によほどの誤りでもない限り、できなかったタイトルへの介入を許せば、政治の側は自分に都合が良いようにイメージ操作を行い、メディアは政治の宣伝機関になり下がってしまうためだ。メディアの方も「そこは報道機関の矜持ですよ」と胸を張っていたし、私の所属していた政党でも「メディアへの介入は悪いこと」という雰囲気が強くあった。

ところが今日の日本では、政治サイドが報道内容にクレームをつけることは日常茶飯事となった観がある。メディアの方も官邸や自民党からの要求には柔軟に対応したり、初めから忖度して嫌がられない表現にしたりすることが珍しくない。その状況をジャーナリストの非政府組織である「国境なき記者団」は、「2012年以降、民族主義的な右派の台頭と共に、多くのジャーナリストが彼らに向けられた不信感や敵意に満ちた雰囲気について不満を述べている」「日本の政府や企業はマスメディアの経営陣に対して日常的に圧力をかけており、その結果、汚職、セクシャルハラスメント、健康問題(コロナや放射能問題)、または公害など、敏感とみなされる可能性のあるトピックに関しては、メディア側で厳しい自己検閲が行われている」と指摘する。[3] 民主党政権が崩壊して安倍・自民党一強の時代となり、政権交代の可能性が事実上消えたことにより、与党の横暴とメディアの服従はすっかり定着してしまった。[4]

今回の騒動でもおそらく、官邸は日本のメディアに対して圧力をかけるのと同じノリでTIMEに文句を言ったのだろう。政府関係者に言わせれば、「修正を求めたわけではないが、見出しと記事の中身があまりに違うので指摘した。どう変えるのかはタイム誌の判断だ」ということらしい。[5] だが、そういうのを圧力と言うのだ。TIMEの判断で新しいタイトルに書き換えたという説明も嘘くさい。「平和主義だった日本に国際舞台でより積極的な役割を持たせようとしている」というフレーズは事務的で退屈に響き、外務官僚あたりが作った和製英語の匂いがプンプン漂っているためだ。

いずれにせよ、先進民主主義国家のスタンダードから見れば、タイトルに文句をつけた時点で日本政府はアウトと言ってよい。一方で、TIMEの方も今回はちょっと情けなかった。私の理解では、米国の報道メディアは編集権への介入を嫌う姿勢が日本メディアよりも遥かに強い。部分的にとは言え、TIME側が日本政府の修正要求に応じたことには正直、驚いた。

 

表題と記事の中身が違っていたら〈けしからん〉のか?

TIMEにタイトルの記述変更を求めたことを正当化するため、日本政府は「表題と記事の中身に乖離がある(林芳正外相)」という論理を用いた。岸田も「中身と見出しに、あまりに違いがある」と苦言を呈した。[6] このような政府の説明に対しては、「元のタイトルと記事内容が違っていれば抗議するのが当然だ」と擁護する声も少なくない。しかし、その議論は二重の意味で間違いだ。

第一に、報道記事では、客観的に見て事実誤認がある場合を除けば、中身とタイトルが一致していなければならない、という決まりはない。現に、新聞・テレビ・ネットニュース等で記事の中身とタイトルが違っているケースは多々ある。メディアも企業体である以上、発行部数、視聴率、トラフィックの多寡は経営上極めて重要だ。数字を上げるためにタイトルで読者・視聴者の目を引くことは当たり前の行為とみなされてきた。事の本質を伝えるというジャーナリズムの視点からも、取材された側の意図から離れたタイトルをつけることは当然に許容されてきた。それはそうだろう。取材された側の意図に反するタイトルをつけてはならない、ということになれば、メディアの持つ編集権は大きく損なわれる。メディアは何も批判できなくなり、権力のチェック機能も放棄することにつながってしまう。

 

TIMEの元タイトルはどのようなものだったのか?

政府の論理がデタラメである理由の二番目は、少なくとも今回のTIMEの記事に関する限り、表題と記事の中身に乖離はないことである。ただし、私は一部のリベラル系の人たちのように「岸田内閣は日本を軍国主義化している。だから、TIMEの元タイトルは正しい」と言うつもりはない。客観的な事実として、表題は中身に即したものだったと主張したいだけだ。

まず、TIMEの元タイトルについて詳しく見ておこう。今回の騒動を大きくした要素の一つは、実は元タイトルの翻訳にあった。TIMEの記事は当然英語で書かれている。TIMEに日本語版はないので、「岸田首相がTIMEの表紙に」という類いのニュースは、日本のメディアがそれぞれにTIMEの英文記事を和訳しながら伝えることになった。問題となった部分を英語のまま残して和訳すれば、「岸田文雄総理大臣は、数十年にわたるpacifismを放棄し、日本を真のmilitary powerにしたいと望んでいる」というのがTIME記事の元タイトルである。[7]

多くの日本メディアはmilitary powerを「軍事大国」と訳した。superpowerを「超大国」と訳すせいか、国際政治の文脈ではpowerを「大国」と訳すことが確かに多い。だが、日本語の「大国」は英語でmajor powerやgreat power、「中堅国」はmiddle powerだ。このように、powerは(権力主体としての)「国家」と訳した方がよい場合もある。今回のケースでも、TIMEは「一定の軍事力を備え、それを普通に使うことのできる国」という意味でmiliary powerという言葉を使ったに過ぎないと思われる。米国自身がmiliary superpowerである以上、military powerという言葉に「好戦的な国家」とか「軍国主義の国家」という否定的なニュアンスが込められている、と考えるのも〈穿ちすぎ〉というもの。

もう1つはpacifismという単語。これも普通は「平和主義」と訳される。だが、英語圏の人たちの感覚に近いのは「非戦主義」である。「日本のpacifism」と言う場合、海外の人は憲法9条に起因する〈戦争放棄〉を強くイメージする。また、「自国の平和さえ守られれば、他国の平和にまで責任を持つ必要はない」という〈一国平和主義〉のニュアンスを読み取る人もいる。これに対して、(憲法学者を除く)日本人の大多数は「平和主義」をもっと広範かつ漠然とした意味で理解している。安倍は「積極的平和主義」という言葉を作り、安保法制以降は集団的自衛権の行使と平和主義が矛盾しないと考える人も増えた。ちなみに「積極的平和主義」を政府はProactive Contribution to Peace(平和への能動的な貢献)と英訳している。Proactive Pacifism(能動的な非戦主義)では安倍の意図したことと逆になるためだ。

以上を踏まえ、TIME記事のタイトルを完全和訳してみよう。「岸田文雄総理大臣は、数十年にわたる非戦主義を放棄し、日本を真の意味で軍事力を行使できる国家にしたいと望んでいる」といったところが正しい

 

記事内容とタイトルに乖離はあったのか?

次は、問題となった記事の内容を検討する。TIME騒動に関しては様々に報道や評論がなされたが、私には、その多くが当該記事の全文を読まないで書かれたように思えてならない。日本のメディアはTIMEの記事を「岸田へのインタビュー記事」と紹介するところが多かった。しかし、岸田のインタビューに基づく記述は全体の2割にも満たない。[8] TIME側は同記事を書くに当たって岸田以外にも取材しており、河野太郎デジタル大臣をはじめ、多くの人の発言が「カギ括弧」付きで出てくる。

私が記事全文を読んでみたところ、この記事は〈岸田の言いたいことを単純に読者に伝えて終わり〉というものではまったくなかった。「核兵器のない世界」の取り扱いはその典型例だ。岸田はお膝元の中国新聞に対し、「幼かった頃からの経験を通じて、核兵器のない世界に向けての強い思いを持っていると(TIME誌に)語った。読めばどなたでも分かる」と胸を張っている。[9] なるほど、記事には岸田少年が祖母の膝の上で原爆被害を聞いたというエピソードが紹介されており、そこだけ読めばちょっと感動する人もいそうだ。しかし、TIMEは同じ記事の中に被爆者で反核活動家として知られるサーロー節子女史を登場させ、「岸田総理は『核兵器のない世界』の実現に向けて働くことが最優先課題だと言った。でも現時点では、彼が私たちを騙していることに私は気付いている」と語らせている。岸田の言行不一致という〈もう一つの真実〉を示すことでTIMEは岸田の〈太鼓持ち〉になることを拒み、記事の分析に厚みを持たせようとしているのだ。

要するに、TIMEが掲載した岸田の特集記事は「TIMEの見た岸田」「TIMEの見た日本政府の政策的取り組み」を解説したものなのである。実際のところ、TIMEの記事は岸田のインタビューだけに頼らず、岸田の側近や日米の識者の言葉を通して政治家・岸田文雄の政治スタイルに迫ろうと試みている。また、岸田内閣の政策的取り組みとしては、「新しい資本主義」日米同盟の強化日韓関係の改善に加え、岸田が「防衛費を急激に50%以上も増やそうとしている」という事実が紹介された。[10] そのうえでTIMEは、「有力なパートナー国に中国の影響力増大を牽制させることに熱心なホワイトハウスの後押しを受け、世界第3位の経済規模を持つ日本をそれに見合った軍事的存在感を持ったグローバル国家に返り咲かせるための取り組みに岸田は着手した」と解説したのである。

岸田内閣は昨年12月に安保3文書を閣議決定し、防衛費を急増させることを決めている。さらに、今後は「反撃能力」という呼び名の下で相手国領土を攻撃すると内外に宣言した。しかも、その翌月に訪米した岸田は、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院(SAIS)でスピーチを行い、「防衛力の抜本的強化とそれを補完する取組を合わせ、GDPの2%まで予算水準を確保することや、反撃能力の保有、サイバー安全保障分野の対応能力向上、南西地域の防衛態勢の強化など、戦後の安全保障政策を大きく転換する決断をいたしました」と力説した。[11] 防衛費のGDP比2%にまで増やせば、日本が名実ともにmilitary powerに仲間入りしたと思われるのは当然だ。反撃能力の保有を含め、戦後の安全保障政策を大きく転換すると言えば、海外の人はpacifismの放棄と受け止める。(それは実態としても間違っていない。)要するに、TIMEの記事には内容的に突拍子なところなど何もない

ここでもう一度、記事の元タイトルに戻ろう。「岸田文雄総理大臣は、数十年にわたる非戦主義を放棄し、日本を真の意味で軍事力を行使できる国家にしたいと望んでいる」という記述が記事内容と乖離している、と政府が言うのは〈言い掛かり〉である。チンピラが通りでイチャモンをつけているようなものだ。

 

おわりに

去る5月3日、本稿の中でも触れた「国境なき記者団」が今年の世界報道自由度ランキングを発表した。日本は68位でG7中最下位。アジアでも、東ティモール、台湾、韓国の後塵を拝している。残念なことだが、今回のTIME騒動を見れば、このランキングも「さもありなん」と思わざるを得ない。

折しも昨日からG7広島サミットが始まった。今日も明日もメディアは〈サミット祭り〉に明け暮れることだろう。だが、その議長役を務める日本では民主主義の根幹の一つである報道の自由が着実に失われつつある。我々はそのことにもっと危機感を持つべきだ。

 

 

[1] Exclusive: Prime Minister Fumio Kishida Is Giving a Once Pacifist Japan a More Assertive Role on the Global Stage | TIME

[2] 印刷版も変更されているのかどうかは確認できない。

[3] Japan | RSF

[4] 公平を期すために言っておくと、「欧米の政府や政治家はメディアに対して注文をつけない」というわけでは決してない。だが、欧米の先進民主主義国と呼ばれる国では政治の側にもう少し節度があるし、メディアの側ももっと毅然とした対応をとる。米国では、メディアが政治的に中立ではなく、民主党系、共和党系(トランプ系)など党派性を強く持っているという特徴が加わる。トランプの時代にトランプ系メディアはトランプが黒と言えば、白をも黒と伝えた。トランプ政権が民主党系メディアに圧力をかけるのは日常茶飯事だったが、民主党系メディアは「報道の自由」の観点のみでなく、「反トランプ・親民主党」という政治闘争の観点からも徹底抗戦した。バイデンの時代になった今では、政権が共和党系メディアに注文をつけたても、それが聞き届けられることはまずない。一方で、日本の大手メディアは(少なくとも建前としては)〈不偏不党〉を標榜しており、それは「良いこと」だと一般には考えられている。だが、〈不偏不党〉は時として政権に対するメディアの〈ひ弱さ〉につながる面があるのも事実である。

[5] 岸田首相の記事に米誌タイム「軍事大国」 外務省、見出しに異議 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

[6] 岸田首相「記事の中身と見出しがあまりに違う」 米誌タイムの「軍事大国」受け強調 | 中国新聞デジタル (chugoku-np.co.jp)

[7] 英文は以下のとおり。元タイトル:Prime Minister Fumio Kishida Wants to Abadon Decades of Pacifism-And Make His Country A True Military Power 修正後タイトル:Prime Minister Fumio Kishida Is Giving a Once Pacifist Japan a More Assertive Role on the Global Stage

[8] 岸田がインタビューで語った言葉を引用した部分の単語数を筆者が幅広に数え、記事全体の単語数で割ってみた結果に基づく。

[9] 前掲。

[10] 昨年12月、日本政府は2023年度から2027年度までの5年間で狭義の防衛費(防衛省関連予算)を総額43兆円程度にすると決めた。それまでは、2019年度から2023年度までの5年間で費やす防衛費総額を27.5兆円としていた。両者を比較すると今後5年間で防衛費は約1.56倍に増えることになる。TIMEが「50%を超える防衛費増」と言っているのは、このことを指していると思われる。

[11] https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100446120.pdf

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