東アジア共同体研究所

米韓ミサイル指針の終了  Alternative Viewpoint 第25号

2021年7月13日

 

去る5月21日、ジョー・バイデン米国大統領と文在寅韓国大統領はワシントンで首脳会談を行った。会談後に発出された共同声明には、「米国との協議を受けて大韓民国は『改定ミサイル指針』の終結を宣言し、米国大統領はその決定を承認した」という記述があった。[i] この決定を受け、韓国は今後、自前のミサイルを自由に開発・配備できるようになる。米韓首脳共同声明を最初に読んだ時、私は台湾に言及した部分よりもこの一文が最も引っかかった。

このニュースに対する日本国内の受け止めは、〈海の向こうの他人事〉程度のものだろう。しかし、これは、日本を含む東アジアの安全保障環境に直接・間接の影響を及ぼす、れっきとした〈事件〉だ。本号で採り上げ、しっかり分析しておきたい。

 

米韓ミサイル指針とは?

まず、米韓ミサイル指針とは何だったのかについて説明し、今年5月に終了されるまでの経緯を振り返る。

≪起源≫

1969年7月25日、ベトナム戦争からの撤退を模索し始めたリチャード・ニクソン大統領はグアムで声明を発表し、「国家の防衛は当事国が第一義的責任を負うべき」と述べた。対北朝鮮で軍事的に劣勢だった韓国の朴正熙大統領は核・ミサイル開発に乗り出す。米国に再処理施設の建設を妨害され、朴は核開発を断念した。しかし、国産ミサイルの開発は諦めようとしなかった。

韓国が〈飛び道具〉を持つことを最も不安視したのは米国政府である。韓国が勝手に北朝鮮をミサイル攻撃するようなことがあれば、在韓米軍を駐留させている米国も否応なく戦争に巻き込まれるためだ。米国は韓国に圧力をかけたが、1979年になって韓国が〈射程180㎞、搭載重量500㎏〉という条件を受け入れることで米韓は折り合いをつけた。これが「米韓ミサイル指針」の起源である。

≪改訂≫

その後、韓国の歴代政権は――政権が保守かリベラルかに関係なく――ミサイル指針の制限緩和を求め続けた。米国は概して消極的だったが、北朝鮮による核・ミサイル開発が進むにつれて韓国の要求を断れなくなった。結局、ミサイル指針は4度にわたって改訂された。

 1997年の改訂によって、韓国が開発・保有できる弾道ミサイルの最大射程は300㎞へ延びた。

 2012には、最大射程が800まで認められるようになった。800㎞と言えば、北朝鮮全土をカバーし、単純計算では中国の大連、青島、そして西日本にも到達可能な射程である。

 2017、北朝鮮がICBM「火星14」の発射や核実験を行ったのを受けて、搭載弾頭の重量制限が撤廃された。韓国は北朝鮮の地下施設を標的とする「玄武-4」ミサイル(最大射程800㎞、弾頭搭載重量2トン)の開発を進めた。

 2020の改訂では、固体燃料の使用が認められるようになった。これによって従来の液体燃料ミサイルよりも機動性の高いミサイル宇宙発射型ミサイルの開発が可能になった。[ii]

≪終了≫

そして、今般のミサイル指針の終了を以って、最後まで残っていた最大射程800㎞の制約もなくなった

ミサイル指針の制約がなくなった今、韓国は国産ミサイルを〈自由に〉開発できるようになった。韓国政府は当面、射程1,000~5,000㎞の中距離ミサイルの開発を優先するとみられている。また、潜水艦発射ミサイルの長射程化極超音速兵器の開発に乗り出すべきとの声も出ている。[iii] ちなみに、韓国は近年、国産の潜水艦発射式弾道ミサイルの開発に取り組んでいる。2021年7月には最初の水中打ち上げ実験[射程500㎞]を行った模様だ。[iv]

 

韓国の悲願~ミサイル主権の回復

冒頭で紹介した5月21日の米韓首脳共同声明の一文を読めばわかるとおり、ミサイル指針の終了は〈韓国側の強い意向を米側が了承した〉ものであった。韓国がミサイル指針の終了にこだわった理由は何だったのか?

≪国防主権≫

韓国は第二次世界大戦の終結に伴って日本の統治から離脱した。しかし、当初は米軍の占領下に置かれ、大韓民国として独立を宣言したのは1948年8月である。[v] その後、1950年6月に朝鮮戦争が始まると、戦力の劣る韓国は軍の統制権を米軍に委任した。1953年7月に休戦した後も北朝鮮との戦争状態は今日まで続いている。韓国軍の統制権は1978年に米韓連合軍司令部に移行された。その司令官は米軍人であるため、統制権は米軍の下に置かれた状態が続いた。

このような歴史的経緯から、歴代韓国政府は国防面での主権回復に強いこだわりを見せてきた。粘り強い交渉の結果、1994年に韓国は「平時」の統制権を回復した。しかし、「戦時」については将来移管することで原則合意されたものの、具体的な時期や移管後の制度設計は詰められていない

戦後日本のリベラルと違い、韓国のリベラルは対米自立と自主防衛力強化をセットで唱えることが多い。わけても文在寅政権は国防主権回復へのこだわりが強く、戦時統制権の移管や原子力潜水艦の建造等と並び、米韓ミサイル指針の改正を公約として掲げてきた。来年5月までしか任期のない文在寅にとって、今回の米韓首脳会談でミサイル指針を終わらせるという〈成果〉は喉から手が出るほど欲しかったはずだ。

ミサイル指針の終結によって国産ミサイルを自由に開発できるようになれば、韓国は現在よりも先端的で強力なミサイルを保有できるようになるだけでなく、複数の軍事衛星を打ち上げて韓国独自のISR(情報収集・警戒監視・偵察)能力を拡充することも可能になる。[vi] その意味では、ミサイル指針の終了は戦時統制権の返還促進につながる、というわけである。

≪宇宙開発≫

米韓ミサイル指針による制約は、軍事ミサイルだけでなく、民生用宇宙ロケットにもかかっていた。北朝鮮が長距離ミサイル発射を「衛星の打ち上げ」と称していることからもわかるとおり、弾頭ミサイルと衛星打ち上げロケットは同じ原理で飛ぶ。2020年7月の指針改定により、低軌道衛星を効率的に打ち上げるために必要な〈固体燃料の使用〉は既に可能となっていた。指針の終了自体が韓国の宇宙産業政策に対して持つ意味は象徴的なものだった。

米国は現在、月や火星への有人宇宙飛行をめざす「アルテミス計画」を進めている。日欧豪加などが同計画に参加する中、韓国はこれまで蚊帳の外に置かれてきた。しかし、米韓首脳共同声明では米国政府が韓国のアルテミス計画参加に協力する旨の文言が入り、5月27日に韓国はアルテミス合意に署名した。今年10月には国産ロケット「ヌリ」(液体燃料を使用)による衛星打ち上げも予定している。今後、韓国が官民をあげて宇宙開発への進出を図ってくることは間違いない。

≪安全保障≫

ミサイル開発の自由度が高まれば、韓国の国防力強化に資することは言うまでもない。だが、ミサイル能力の強化はどこに向けられたものなのか?

#北朝鮮

韓国にとって最も深刻かつ現実的な脅威が北朝鮮であることは言を俟たない。北朝鮮は非武装地帯(DMZ)周辺に多数の火砲・ロケット砲を配備し、文字通り「ソウルを火の海にする」ことができる。しかも、北朝鮮は2021年初頭時点の推定で40~50個の核弾頭を保有している。[vii] 韓国(及び日本)を射程に入れる短距離弾頭ミサイル(SRBM)は900発程度が配備され、その中には核弾頭搭載可能なミサイルも含まれる。[viii]

前節で述べたように、過去のミサイル指針改定(制限緩和)は北朝鮮の核・ミサイル開発への対抗を念頭に置いて実現したものだ。それに対し、ミサイル指針の終了に「北朝鮮の脅威に対抗するため」の直接的な効果はあまりない。今回、指針の終了に伴って撤廃されたのは、最大射程800㎞の制限だ。下図を見れば、従来の射程800㎞(⑤または③④の線)でも北朝鮮をすっぽり覆っていることが一目瞭然である。[ix] (なお、参考までに述べると、地図上の⑥と⑦の線は韓国が現在保有する巡航ミサイルの最大射程(1,500㎞)である。日本のほぼ全域がカバーされている。)

#周辺国(中国と日本)

そこで、今回のミサイル指針終了で俄然注目されているのが「北朝鮮の向こう側」である。

2019年10月、文在寅は施政方針演説で「現在われわれの安保の重点は対北抑止力だが、いつか(南北)統一されるとしても列強の中で堂々と主権国家になるためには強い安保能力を備えなければならない」と述べ、統一後を睨んで北朝鮮以外にも国防上の備えを充実させるべきとの考えを示した。[x]
2020年6月10日に行われた全軍主要指揮官会議では、韓国国防部から〈周辺国が領域内影響力の拡大に向けた取り組みとともに先端技術基盤の戦力増強に邁進している〉という分析が示された。韓国メディアによると、同会議で中国と日本を意味する「周辺国」について言及されたのは初めてのことであった。[xi]
2020年9月、文在寅は軍の式典で「我が軍は、より正確かつ強力でより遠距離に届くミサイルによって我が国土を守る」と述べ、ミサイル重視の姿勢を明らかにした。[xii] これらを合わせ読むと、周辺国(中国と日本)に対してミサイル能力の充実で対抗する、という戦略の萌芽が見られることは否定できない。

韓国の専門家の中には「(指針終了に伴う韓国の)ミサイルの射程延伸の主な目標は、北朝鮮ではなく、中国だ」と断言する者もいる。[xiii] 軽空母(ヘリ搭載艦)導入を巡っても、韓国海軍は「実際に米国の対中戦略に参加するかはともかく『能力を持つことが重要だ。国家政策のレベルで海軍が有する力があれば政府の使えるカードが増える』と主張」している。[xiv] 中距離ミサイルの保有についても、中国を牽制するためであれ、中国の中距離ミサイルへの対抗手段を講じたがっている米国に恩を売るためであれ、韓国のオプションを増やしておいた方がよい、という主張は確実に存在する。

もう一つ、韓国にとって無視できない潜在的脅威日本である。日本側は竹島奪回など露ほども考えていないが、韓国軍の方は年に2回、竹島(韓国名独島)防衛のための共同訓練を行っている。2018年12月には韓国海軍が海自の哨戒機にレーダー照射した事件――韓国側は反論している――も起きた。

ただし、中国や日本に対するこのような脅威論には、韓国の国力増大を背景にした〈ナショナリズムの発露〉や、軍部が〈国防予算を獲得するための口実〉という側面が多分にある。過大評価は禁物だ。

2020年度の対中輸出依存度が25.8%に達するなど、韓国経済は中国経済への依存度が極めて高い。米中衝突の最前線である台湾と韓国は近接していない。中韓の間には尖閣のような領土紛争も存在しない。[xv] さらに、中国の協力なくして半島統一は不可能だ。韓国が中国に公然と敵対するために米韓ミサイル指針の終了を求めた、という見方にはいくら何でも無理がある。

以上を踏まえて総括すれば、文在寅政権がミサイル指針の終了にこだわった最大の理由は、最初に述べた〈ミサイル主権回復〉の総仕上げということであろう。支持率の低下に喘ぎ、大統領の任期も残り1年を切った文にとって、大多数の国民から歓迎されるミサイル指針の終了は、実績をアピールする面でもレガシーを作る面でも申し分のないものだったはず。ミサイル指針の終了に米国政府の同意をとりつけるためであれば、米韓首脳共同声明で「台湾海峡」に触れるなど、韓国政府が米バイデン政権の対中包囲網づくりに〈ある程度〉協力してやることは、文にとって〈十分に呑める譲歩〉だったと考えられる。

 

米国の計算~「対中戦略」の一環として

既に述べたとおり、今回のミサイル指針終了には韓国側が宿願を果たしたという側面が強い。だが、指針終了には米国も同意している。米側の計算はどのようなものだったのか?

≪対北朝鮮≫

第一は、北朝鮮への対処である。AVP第23・24号で見たとおり、バイデン政権の北朝鮮政策は、外交交渉を重視して「朝鮮半島の完全な非核化」を追求することにしている。しかし、本音では〈北朝鮮が今後核弾頭を増やさず、ICBM等米国に届くミサイルを廃棄・制限することで「手打ち」をめざす〉ものとなる見込みだ。[xvi] つまり、現存する核弾頭と韓国(や日本)を射程に入れるスカッドやノドン等の短距離ミサイルは〈手つかず〉のまま、脅威として残る可能性が高い。北朝鮮との交渉が不首尾に終われば、北朝鮮の脅威は今と変わらないか、それ以上の水準で存在し続ける。中国との競争を強調する一方で、コロナ禍による財政悪化で国防予算も横這い状態が続きそうな米国にとって、韓国が国防全般、とりわけミサイル能力を増強して対北朝鮮で米国の負担を少しでも肩代わりしてくれれば、基本的には助かる

≪対中ミサイル戦略≫

第二の計算は、中国に対する軍事的牽制に韓国を利用することである。

5月18日、ポール・ラカメラ米太平洋軍司令官は上院軍事委員会に提出した書簡で「今日、米韓同盟は北朝鮮からの切迫した脅威に正面から焦点を当てたものであり、将来もそうあり続けるべきだ」と述べる一方、「米韓同盟には朝鮮半島を越えて協力する機会が出現しつつある。在韓米軍は、朝鮮半島外の有事(out of area contingencies)や地域的脅威(regional threats)への対応について、米インド太平洋軍を支援するための様々な能力を米インド太平洋軍司令官に提供できる独特の位置にある」と述べた。[xvii] ここで「地域」という言葉が中国を念頭に置いて使われていることは言うまでもない。韓国でラカメラの発言は「在韓米軍が北朝鮮の侵略から“韓国を防御”するという伝統的な役割を超え、他国で地域的危機状況が発生した場合に投入される“戦略的柔軟性”を持つことが可能であり、韓国軍も韓米同盟の枠組みで協力できるという認識を示した」ものと受け止められている。[xviii]

AVP第18号で述べたとおり、米国は中国の中距離ミサイルに対抗するため、第一列島線へ地上発射式中距離ミサイル(射程500~5,500㎞)を配備することを検討している。[xix] (地図の上では韓国は第一列島線上にない。だが、中国との距離を考えれば、地上発射式中距離ミサイルの配備候補となり得る。)しかし、同盟国がそれに同意する見込みはあまり芳しくない

そこで出てきているのが「同盟国である日本や韓国に中距離ミサイルを持たせ、米国の対中抑止戦略に貢献させる」という考え方だ。例えば、今年4月21日に米上院外交委員会が可決した「2021年版 戦略的競争法」には、日本が射程の長い精密誘導ミサイル開発することを支援すべき、という文言が入っている。[xx] 米側には、〈日本や韓国が自前の中距離ミサイルを保有するようになれば、米軍の地上発射式中距離ミサイルを受け入れるための政治的なハードルも下がる〉という思惑もある模様だ。

ここでもう一度、前節で載せた「韓国製ミサイルの射程と東アジアの地図を重ね合わせたイメージ」をご覧いただきたい。米韓ミサイル指針の下では、弾道ミサイルの最大射程は800㎞(⑤の線)までだった。性能上は中国の東北地方南部や山東半島等を射程に収めているが、実戦使用することを考えると中国は事実上、対象外の扱いだった。しかし、指針終了を受けて射程の制限はなくなった。ミサイルの長射程化が東アジアのトレンドになっている中、「ミサイル主権」に強いこだわりを持つ韓国がミサイルの長射程化を図ることは間違ない。少なくとも結果的には、北京をはじめとする中国中心部は韓国の弾道ミサイルの射程に収まるようになる。将来的には、台湾対岸のミサイル部隊にも(理論上は)到達可能なミサイルが開発・配備されるであろう。韓国の専門家の間では、ミサイル指針の廃棄が「韓国を自然に対中国ミサイル牽制体制に自動編入させる効果」を持つという指摘も出ている。[xxi]

ただし、韓国が中国を射程に収める弾道ミサイルを配備することと、韓国が米国と一緒に中国敵視政策をとることはイコールではない。前節で述べたとおり、韓国は様々な意味で中国を必要としているためだ。
軍事技術的にも、韓国がミサイルを実戦で使用しようと思えば、「敵」の位置情報をリアルタイムで把握することが必要だ。また、仮に中国をミサイル攻撃すれば、それに倍する以上の反撃を受けることも覚悟しなければならない。日本の敵基地攻撃能力と同様、単に「ミサイルの射程が届けばいい」という単純な話ではない。

米国はその辺のことは十分理解したうえで、韓国を利用したいのであろう。米国の同盟国である韓国が北京等を射程に入れるミサイルを配備すれば、中国は朝鮮半島方面にもミサイル兵力の一部を割く必要が出てくるかもしれない。少なくとも、台湾有事における中国の戦略的計算を複雑化させる要素となることは間違いない。それだけでも米軍にとっては意味がある。

≪韓国の抱き込み≫

第三の計算は、韓国をなだめ、取り込みたい、という思惑である。

まず、理解しておくべきはトランプ時代に米韓関係がギクシャクしたという事実である。ドナルド・トランプは同盟の価値を〈金銭〉で計り、「同盟国にタダ乗りされている」という不満を強く抱いた大統領であった。[xxii] そのトランプが最も先鋭化した形で矛先を向けた国の一つが韓国だ。トランプは韓国政府に在韓米軍駐留経費の負担額を5倍に増やせ、と要求した。実際にかかる経費の倍以上をふっかけられた韓国側は反発、2020年4月以降は在韓米軍の駐留経費負担について無協定状態に陥った。

バイデン政権発足後の今年3月、米韓の間で妥協が成立する。2021年分の在韓米軍駐留経費の韓国側負担を2019年よりも13.9%増やし、来年以降の4年間は韓国国防費の伸び率――平均6.1%となる見込みである――に連動して増加させることで合意したのだ。[xxiii] 当初トランプが要求した5倍に比べれば穏当な数字かもしれないが、韓国側の負担は5年後には4割増となる。ベトナム戦争以来、アフガニスタンにもイラクにも軍隊を派兵してきた韓国側に不満が残ったのは当然であろう。

その一方で、米中対立が激化する中にあって韓国は米国寄りの姿勢を明確には示していない。今年2月4日、バイデン大統領は「米国の持つ同盟ネットワークは我々の最大の資産だ。(米国が)外交で(世界を)導くということは、同盟国や主要なパートナー国と再び肩を組んで立ち上がることを意味している」と演説した。[xxiv] その後、3月16日に開催された日米2+2(外務・防衛大臣会合)では、52年ぶりに台湾(海峡)に言及するなど、中国を強く意識した共同文書が発出された。ところが、3月18日に行われた米韓2+2の共同文書には、台湾はおろか、中国を刺激するような言葉は一切なかった。[xxv] 5月17日に文在寅大統領をワシントンに迎えて行われる米韓首脳会談も同様の結果となれば、バイデン政権は〈出だしから躓いた〉イメージを与えかねない。

かくして、トランプ時代から積もり積もった韓国の不満をガス抜きし、中国との「戦略的競争」を重視する自陣営に韓国を引き入れる――それが無理でも、韓国政府から一定の支持を取り付ける――ことはバイデン政権の外交チームにとって至上命題となっていた。文政権が喉から手が出るほど欲しがっていた「米韓ミサイル指針の終了」は絶好の〈取引材料〉であったに違いない。

果たして、米韓首脳共同声明は台湾(海峡)に触れ、QUAD(日米豪印)も肯定的な文脈で盛り込んだ。ただし、韓国も米側に満額回答したわけではない。台湾と南シナ海への言及はあったものの、ウイグル(人権問題)には触れず、中国を名指しで批判する表現も入れなかった。ひと月前に菅義偉総理が訪米した際に出した日米首脳共同声明と米韓首脳共同声明を並べてみれば、両者の温度差ははっきりしている

≪成り行き≫

米国がミサイル指針の終了に応じたのには、米国側の意図的な計算による部分だけでなく、韓国側に〈寄り切られた〉面も多分にあったと思われる。

1990年代以降、「北朝鮮が核・ミサイル開発を加速させたことへの対応」「戦時統制権を返還するための環境整備」を理由に、米国は韓国に防衛努力の大幅な強化を求め続けてきた。韓国はそれによく応えた。国防予算は2005年の20.8兆ウォンから2020年の50.2兆ウォンへと2.5倍に増え、国防予算のGDP比も2.5%前後と高水準で推移している。[xxvi] 韓国の国防予算(2020年で461億米ドル)が日本の防衛費(同、482億米ドル)を抜くのも時間の問題であろう。[xxvii]

既に述べたとおり、韓国は累次のミサイル指針改訂を通じて自前のミサイル能力も大幅に強化してきた。その流れの中で米韓両国政府はトランプ政権期の後半にはミサイル指針の終了について既に協議していた模様だ。しかし、在韓米軍駐留経費の増額問題(上述)が米韓の間で政治問題化したため、棚上げされてしまった。[xxviii]

上記のような〈経緯〉を考えれば、韓国政府が強く求めた米韓ミサイル指針の終了にバイデン政権が強く反対できなかったとしても不思議ではない。

 

「意図せざる」影響

米韓ミサイル指針の終了は、米韓両国が意図しない影響を東アジア地域に及ぼす可能性がある。

≪地域ミサイル軍拡の加速≫

安全保障の世界では、「作用」があれば「反作用」が働く。韓国のミサイルだけが例外となるわけはない。

米韓首脳会談から10日たった5月31日、北朝鮮の朝鮮中央通信は「我々の自衛的措置を国連決議違反だと追い詰めながら、追随者には無制限のミサイル開発を許した。破廉恥な二重基準だ」「米国と南朝鮮(韓国)当局が侵略の野望を明らかにした以上、我々の国家防衛力強化に対して何も言えなくなった」という〈国際問題評論家の論評〉を掲載した。[xxix] このことを受け、北朝鮮は米韓ミサイル指針終了を自身のミサイル開発を正当化するためのプロパガンダとして利用する、という予測が早くも出ている。[xxx]

朝鮮中央通信の論評は、北朝鮮の標的は米国だと強調する一方で、米韓ミサイル指針の終了によって韓国は超音速ミサイル、潜水艦発射ミサイル、大陸間弾道弾を開発できるようになると指摘した。[xxxi] 北朝鮮の核・ミサイル開発の原動力は「国家及び体制の存続」に対する不安感である。20201年1月に開催された朝鮮労働党大会で演説した金正恩は、ICBM、原子力潜水艦、戦術核兵器、極超音速滑空体、電子戦機器、偵察衛星等の開発など、戦力増強の方針を打ち出した。[xxxii] 米韓ミサイル指針終了によって韓国のミサイル開発が進めば、北朝鮮の不安感はますます昂じることとなる。北朝鮮が軍備増強のペースをさらに上げようと考えても不思議ではない。

5月24日、中国外交部の趙立堅報道官は「米韓関係の発展が中国など第三者の利益を害するべきではない」と述べ、米韓ミサイル指針の終了に関しては控えめな牽制を表明するにとどめた。あからさまに韓国を批判して米側に追いやってしまうという逆効果を懸念したものとみられる。

中国にとって、韓国の中距離弾道ミサイルが直ちに深刻な脅威を及ぼすという切迫感はまだない。カーネギー・清華グローバル政策センターの趙通 上級研究員は「中国にとっては、ワシントンにコントロールされる米国のミサイルよりも、ソウルにコントロールされる韓国のミサイルの方が脅威は小さい」と述べている。[xxxiii] しかし、中国が心中穏やかならざるものを感じていることは当然だ。2016年に韓国政府が配備を容認した米軍のTHAAD(終末高高度防衛ミサイル)――そのレーダーは中国のミサイル部隊の動向をも察知することができる――は現在、韓国政府も費用を負担する形でアップグレードが進められている。[xxxiv] 米中の間で板挟みになっている文在寅政権に代わり、より親米的な政権が誕生するようなことがあれば、韓国が米国の対中包囲網に加わるのではないか、という疑心暗鬼はなくなるまい。

ミサイル指針の終結に伴って韓国のミサイル開発が進めば、(現在の巡航ミサイルに加えて)弾道ミサイルでも韓国が日本全土を攻撃可能になるのは時間の問題である。一方で、スタンド・オフ・ミサイルと呼ぶか敵基地攻撃能力を呼ぶかは別にして、日本もミサイルの長射程化を目指していることは周知の事実だ。地対艦ミサイルの最大射程を現在の200㎞から2025年までには1,000㎞以上へ延ばすべく、開発を始めた。もちろん、日本の主たる想定は北朝鮮と(名指しはしないが)中国である。しかし、日韓のミサイル競争を懸念する声も出てきた。「韓国の長射程ミサイルが北朝鮮や中国のみならず日本の脅威となり得る」という日本の軍事専門家の意見と「韓国は北朝鮮や中国の脅威を心配するのと同じくらい日本を警戒している」という韓国の軍事専門家の声を並列で紹介している米専門家もいる。[xxxv]

北朝鮮、中国、米国、ロシアに日本と韓国も加わり、東アジアではすべての国家が参加してミサイル軍拡が進む――。そんな憂鬱な未来をこのままでは覚悟せざるをえない。

≪北朝鮮非核化への悪影響≫

AVPの前号・前々号で見たとおり、バイデン政権は外交交渉を通じて北朝鮮の核・ミサイル能力の制限を目指す方針である。しかし、今回の米韓ミサイル指針の終了はバイデン政権が北朝鮮との外交交渉を進めるうえでマイナスの影響を及ぼす可能性の方が高い。

先に触れた5月31日付の朝鮮中央通信に載った論評は、米韓ミサイル指針の撤廃を米国による「意図的な敵対行為」と呼び、バイデン政策の北朝鮮政策についても「現実的アプローチなどという政策基調は権謀術数にすぎない」と批判した。[xxxvi] この論評は(労働党幹部や政府当局ではなく)安全保障評論家の発言の形を取っており、現段階で北朝鮮が米国との交渉を完全に拒否する雰囲気が見られるわけではない。しかし、北朝鮮の核・ミサイル能力を制限するための外交交渉を呼びかける一方で、北朝鮮/金正恩体制の安全保障を損なうことになる米韓ミサイル指針の終了を認めたバイデン外交のチグハグ感は否めない。

バイデンの外交チームは、トランプ政権に比べれば遥かにプロフェッショナルな人たちが集まっている。でも、発足から半年余りがたった現時点で私の抱く印象を正直に言えば、バイデン外交も十分に「粗い」。

≪韓国の自主性拡大?≫

戦後の日本は「米軍に蓋をされた状態で『瓶の中』にいる」ことにすっかり慣らされてしまい、今や〈対米自立恐怖症〉と呼ぶべき状況に陥っている。しかし、国際政治の常識では、自前の防衛力を増やせば、同盟国(米国)からの自立性を主張するようになることは必然である。

韓国は宿願である〈戦時統制権の回復〉を実現するため、国防予算の大幅増を進め、今般はミサイル指針の終了という成果を勝ち取った。その結果、韓国が独自の国防力を強化し、米軍に対する依存を減らすようになれば、韓国は外交面でも米国から独立した主張を強める可能性が出てくる。

文在寅政権は南北統一を強く望み、北朝鮮が核・ミサイル開発を進めても金正恩との対話に前向きな姿勢を崩そうとしていない。だが同時に、国防の根幹を米軍に依存しているため、韓国政府の対北政策は米国の北朝鮮政策の枠内でしか展開することができない。文が金正恩と会うことができたのも、トランプと金が首脳会談を行う環境が存在していた時のみだ。今後、韓国が自主防衛を強化して米軍への依存を弱めれば、(時の政権の姿勢にもよるが)韓国の南北政策の自由度も高まることとなろう。[xxxvii]

韓国には反米感情だけでなく反中感情もあり、最近は韓国の人々の嫌中意識も強まっている。[xxxviii] 朝鮮戦争が休戦状態のまま、北に強大な軍事的脅威が存在し続ける限り、韓国が〈対米同盟を犠牲にしてまで中国と一方的に関係を強化する〉選択肢をとることはない。しかし、韓国には〈中国を捨てて完全に米側につく〉という選択肢もない。自国の都合を考えながら米中を天秤にかける外交が続くはずだ。その際、韓国の対米軍事依存度が低下していれば、韓国が中国寄りになる振幅の度合いが大きくなることは十分に考えられる

韓国の外交防衛政策に対する米国の影響が弱まれば、日韓関係への影響も小さくない。最近は、同盟のシニア・パートナーである米国が関係改善を迫ったところで、日韓両国が素直にそれに応じるとは限らなくなってきた。とは言え、米国の影響力がなくなったわけではない。例えば、韓国政府は一旦破棄すると通告したGSOMIA(日韓軍事情報包括保護協定)を米国の説得に応じて延長させた。だが今後、韓国の対米自立性が強まることになれば、日韓関係において対米同盟が持つ鎹(かすがい)としての役割もまた、どんどん弱まっていく。それはつまり、日韓関係の悪化にブレーキ役がいなくなる、ということだ。

日本政府はこうしたトレンドを睨み、韓国政府との間に少なくとも円滑な意思疎通が可能な関係は築いておくべきだ。戦略的見地から好き嫌いを超越する、ことは外交のイロハである。日本も韓国もそれができていない。

 

おわりに

バイデン政権の外交防衛担当者たちは上記のような〈ミサイル指針終了の副作用〉を十分にわかっていたはずである。だからこそ私は、近い将来、米韓ミサイル指針の終了に米国政府が応じることはないと思っていた。米韓首脳共同宣言の中にその文言を見つけて私が驚いたのは、そのためだった。

在韓米軍駐留経費の増額問題で米韓同盟がゴタゴタしていなければ、米韓ミサイル指針の終了はトランプ政権後期に実現していたかもしれない。トランプは同盟国に自助努力を求める姿勢が露骨だった。「世界や東アジア地域の秩序を維持するために米国は公共財的役割を果たさなければならない」という古き良き時代の米国の理想主義からは最も縁遠い人物と言ってもよい。米韓ミサイル指針の終了を了解しても、何の不思議もなかった。

一方で、バイデンには「豊富な外交経験とバランス感覚を持った外交通」というイメージがあった。トランプ時代に協議が進んでいたのだとしても、バイデン政権としてはミサイル指針の終了に待ったをかけ、東アジア地域への影響等を慎重に見極めてもよかったと思う。

だが、トランプ政権の4年間を経て、トランプ流の考え方はワシントンの安全保障サークル内で〈当たり前〉になってしまったのかもしれない。バイデン政権も「中国との戦略的競争に資すると思えば、地域のミサイル軍拡を助長したり、同盟国間の不和や緊張が高まったりするリスクをある程度許容してでも〈同盟国を動員する〉しかない」と割り切ったように見える。

いずれにせよ、米国は日本を無条件で守ってくれる、とか、米国について行けば東アジアは安定する、と無邪気に信じることはできない時代になりつつあることは間違いない。複雑で不透明な21世紀の東アジアで生きていくためには、日本も外交防衛政策の自主性を強めることが不可欠だ。IOCごときにノーと言えない国では話にならない。

 

 

[i] U.S.-ROK Leaders’ Joint Statement | The White House

[ii] Solid Ambitions: The U.S.–South Korea Missile Guidelines and Space Launchers – Carnegie Endowment for International Peace

[iii] US lifts missile restrictions on South Korea, ending range and warhead limits (defensenews.com)

[iv] South Korea conducts SLBM test from underwater barge (janes.com)

[v] 半島の北部は1948年9月に朝鮮民主主義人民共和国として独立した。

[vi] 【リセットコリア】ミサイル指針改定、大・小型偵察衛星の確保に発展させよう | Joongang Ilbo | 中央日報 (joins.com)

[vii] Global nuclear arsenals grow as states continue to modernize–New SIPRI Yearbook out now | SIPRI なお、AVP前号で北朝鮮の保有する核弾頭数を30~40個と述べたが、それは2020年の数字であった。SIPRIが今年6月14日付けで新しい数字を発表していたため、本号ではそちらを採用する。

[viii] Introducing the KN21, North Korea’s New Take on Its Oldest Ballistic Missile – The Diplomat

[ix] Missiles of South Korea | Missile Threat (csis.org)

[x] 文大統領 施政方針演説で「強い安保」強調=国防予算案7%増 | 聯合ニュース (yna.co.kr)

[xi] 韓国軍「周辺国からの脅威」初めて言及…日本・中国の軍事力はどのぐらい? | Joongang Ilbo | 中央日報 (joins.com)

[xii] Recent News (mnd.go.kr)

[xiii] Biden and Moon End Decades of U.S. Missile Development Restrictions on South Korea (foreignpolicy.com)

[xiv] http://japan.hani.co.kr/arti/politics/39779.html

[xv] 中韓の間には東シナ海の蘇岩礁(離於島)を巡って対立が存在する。ただし、これは領土ではなく岩礁という位置づけであり、尖閣ほど深刻な問題にはなっていない。

[xvi] https://www.eaci.or.jp/archives/avp/417  https://www.eaci.or.jp/archives/avp/424

[xvii] Microsoft Word – GEN LaCamera APQs 14 May 2021 (FINAL).pdf (senate.gov)  米インド太平洋軍は日韓から中国、台湾、インド、東南アジア、豪州までの広範な地域を担当し、在日米軍や在韓米軍等を隷下に擁している。

[xviii] 次期在韓米軍司令官、「韓米同盟、日米同盟のような“グローバル同盟”へ成長を」 : 政治•社会 : hankyoreh japan (hani.co.kr)

[xix] 「21世紀のINF条約をめざせ ~ その1. 米中ミサイル軍拡の足音」 Alternative Viewpoint 第18号|一般財団法人 東アジア共同体研究所 (eaci.or.jp) 第一列島線への地上発射式中距離ミサイル配備という方針については、最近、国防総省内で異論も出てきている模様である。この点は別の機会にフォローしたい。

[xx] BILLS-117s1169rs.pdf (congress.gov)

[xxi] http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/40143.html

[xxii] トランプが同盟国に要求を突き付けたのは韓国だけではない。日本に対しても、在日米軍駐留経費を「4倍にしろ」と要求していたが明らかになっている。2020年7月には、ドイツが「国防支出を十分に増やそうとしない」ことを理由に駐独米軍9,500人の撤退を決めている。(その後、今年2月になってバイデン政権はトランプの決めた撤退方針を凍結した。)

[xxiii] https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM107HZ0Q1A310C2000000/

[xxiv] Remarks by President Biden on America’s Place in the World | The White House

[xxv] 100161034.pdf (mofa.go.jp)

[xxvi] What to Make of South Korea’s Growing Defense Spending | List of Articles | International Information Network Analysis | SPF

[xxvii] Data for all countries from 1988–2020 in constant (2019) USD (pdf).pdf (sipri.org)

[xxviii] South Korea Can Now Build Missiles Able to Reach Beijing, With U.S. Blessing – WSJ

[xxix] 北朝鮮「破廉恥な二重基準」 韓国のミサイル開発制限撤廃に反発:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

[xxx] Could More Powerful South Korean Ballistic Missiles Actually Help North Korea? – The Diplomat

[xxxi] 同上。

[xxxii] North Korea developing nuclear-powered submarine, tactical nuclear missiles, says Kim Jong-un (janes.com)

[xxxiii] South Korea Can Now Build Missiles Able to Reach Beijing, With U.S. Blessing – WSJ

[xxxiv] 中国「激怒」の制裁再び? 韓国・文在寅を追い詰めるTHAAD増強計画|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp)

[xxxv] Offensive Strike in Asia: A New Era? – War on the Rocks

[xxxvi] 北朝鮮、米韓ミサイル指針撤廃に反発: 日本経済新聞 (nikkei.com)

[xxxvii] Could More Powerful South Korean Ballistic Missiles Actually Help North Korea? – The Diplomat

[xxxviii] 最近の米世論調査では、中国に対して好意的な見方をする韓国人の割合は22%にすぎない。How people in 17 advanced economies view the U.S. and China | Pew Research Center

 

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